実業団陸上選手の置かれている環境について考える

みなさん、こんにちは☀タムタムランニングクラブ代表の、佐藤心雄(さとうしんゆう)です。いつも訪問して下さり、ありがとうございますm(_ _)m

 今日は、実業団の陸上選手が置かれている環境について、ブログを書いてみます。

 上記↑のヤフーニュースを見たところ、実業団の陸上選手は、結構厳しい環境で活動していることが分かりました。

 選手が新しい環境を求めたくなる時に、所属チームの監督さんが良しとしない…それが続くと、引退に追い込まれる選手も多いそうです。悲しいですね_| ̄|○ il||li

 僕の昔話ですが、高校を卒業してから、青森県八戸市にある、陸上自衛隊八戸駐屯地に入隊しました。

 主な仕事は、2年に1回開催されていた、円谷駅伝(1964年東京オリンピックマラソン銅メダリストの円谷幸吉さんを記念した、駅伝の全国大会)に向けて、ひたすら陸上のトレーニングに励むことでした。
→円谷駅伝がない年は、訓練・食事作り・お風呂準備・大型免許の教習所通い…などの業務を行ってました。

 陸上自衛隊に入隊してから、自衛隊体育學校の教育(半年教育を受けて、そこで認められたら正選手として活動が出來る)に参加させて頂ける制度があることを知りました。

 元々僕は実業団に行って、マラソンでオリンピックに出場するのが夢だったので、その夢を叶えるためには、体育學校に行って自分を試したい!!と、20歳の時に思い立ち、すぐに希望を伝えました。

 でも、職場のトップの方も、所属チームのコーチも、中々首を縦に振ってはくれませんでした。
→上の方達は、体育學校に行って、僕が潰れるのでは!?という不安な氣持ちが強かったそうですが、僕は自分の殻を破るためには厳しい環境に身を置く経験が必要だと思い、希望し続けました。
 
 そして、半年後やっと許可して頂き、体育學校に行く事が出來ました。  

 事情により、半年しか在籍出來ませんでしたが、日の丸をつけたり日の丸を本氣で目指している方々と走らせて頂き、たくさん學びがあり、また中身で向き合って下さる田尻コーチと出会い、本当に行って良かったなぁ…と、17年経った今でも感じております(ΦωΦ)

 何をするにも、一番は環境が大事です。

 指導者も選手も人間なので、色々な想いが交差すると思いますが…周囲の方々への感謝の氣持ちを忘れずに、お互いに思いやりの氣持ちを大切に、氣持ち良く指導・競技が出來る環境を整えて行けたらサイコーですね☻

 日本陸上界の未來を担うアスリートが、夢や希望を持って活動出來る様に、僕も出來ることから始めて行きます( ^ω^ )ニコニコ

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